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2007年07月15日

台風と草津戦と朝日新聞

さすがに、槍は降ってこないだろう、と台風接近の報も眼中に無く、群馬(敷島運動公園陸上競技場)での草津対湘南に愛車をすっ飛ばして駆けつけた。ちなみに”すっ飛ばして”といっても、高速道路上では雨が激しく、そして僕は臆病なので、時速100kmがせいぜいだが、とにかく気持ち的にはすっ飛ばしたのだ。

湘南は水曜にアウエイで水戸を破り、この週末の試合が同じ北関東での開催という事もあり、群馬県内でミニ合宿のようなものを張った模様。方や、草津は同じ水曜には試合が無く、8試合連続で勝ち星なしという状態ながらも休養十分で、ホームでこの湘南戦を迎えた。そして試合はこの状況を如実に物語るものとなった。

試合は序盤から湘南ペース。サイドからの崩しや、パスまわしが自在で、中盤をほぼ支配。連携も良く、勝った試合から続いたミニ合宿の効果が十分に見てとれた。そして、決定的なチャンスを石原が2度外し、いやなムードが出始めた25分にその石原がDFと競り合いながら見事なゴールをあげた。その後も湘南は攻撃の手を緩めなかったが、そのまま前半を終わる。正直、こりゃ楽勝かな、とさえ思った。怖いのはスタミナ切れだけだった。

恐れていたとおり、後半は今度は休養十分で体力に勝る草津が攻勢に出る。湘南はさすがに中2日での試合ということで、少しずつ足が止まり始め、雨もあり細かいミスが続き、ボールへの寄せも遅くなった。アジエルも最後の最後で止められてしまう。ヘロヘロ状態の梅田に変わって出てきた永里も、お前は敵の見方か、と思うくらいにボールが足に付かず、ミスミスチャンスをふいにしてしまう。

しかし草津もさすがにこれでは勝てない、というのもわかるほど、ゴール前や、ここ!、というところでのミスが続き、そんな勝機をこっちもミスミス逃し続けてしまう。もうどっちもミスミス(駄洒落じゃないよ)ばかりなのだ。

試合はその後も「チャンスをミスミス逃し合戦」が続き、そのあげく湘南が逃げ切り、勝ち点3をゲット。とはいえ、いまだからこそこんな呑気に”ミスミスばかり”などと書いているが、ロスタイム終了間際の相手CK時には、200人強いたサポーターが、老いも若きもずぶぬれになりながら必死でベルマーレコール、もちろん、僕も狂気のようにベルマーレコールというなかなかに壮絶な雰囲気だったのは強調しておきたい。雨の中、ご苦労さんでした。

因みに、湘南は敷島では初勝利、おまけに僕的にはアウエイ今期初勝利、といいことずくめの遠征だった。

そういえば、朝日新聞の原田亜紀夫なる記者が書いた”そんな「12番目の選手」なら”という記事が、ネット上で大いに話題を提供している。

僕自身はこの記事の中心的な議題(一部の度を過ぎたサポーターの言動や行動)への意見表明には賛同するところもあるが、本質的なところが分かっていないと思えるケツが割れるようなことを前提に書いている人の記事には例え正論であろうと不快さえ覚える。まさに「お前に言われたくない」!という感じである。

その前提とはこんな感じである。

「あれは観ない方がいい」とあなたは友人にぼやくかもしれないし、酷評をブログにつづる手もある。その監督の作品を、今後は敬遠するかもしれない。  この程度の「批判」や「反抗」なら、よくある話だ。けれど、映画の場合、「原作者出てこい」とか「あの監督、俳優は業界から去れ」、「金返せ」などという“いいがかり”のレベルにまで、反抗がエスカレートすることはまずない。  大人1枚1800円のチケット代を払った作品が、たとえつまらなかったとしても、見たいと思ったのはあなた自身だ。懲りたなら、もう劇場に足を運ばなければいい。  映画をサッカーに置き換えてみる。お金を払って観にいく、という興行と割り切れば、私はサッカーも同じだと思う。


少なくとも僕らにとって湘南ベルマーレというチームは、はどんなにプレーが酷くとも、どんなに酷評しようとも、足を運ばなくなるという対象ではない。酷いから、金を払うのも馬鹿らしいから、懲りたから、という理由で行かない、などという割り切れる対象ではない。いや、そんな理由で行かない、ということはあり得ないとさえ言い切れる。この記者はサポーターという人種を根本的に理解はしていない。チームとサポーターは映画監督と観客という関係ではなく、ある意味、経営者と株主の関係に近い。いや、それもよりエモーショナルな部分で結びついており、経営者がだめだから、この会社の株は手放す、といった株主とは違い、その株は絶対に手放せないものであるともいえる。それはある意味、親と子の関係に近いのかも知れない。

僕は以前、日本のサッカー記事で不満なのは、サポーターという人種を通過、もしくは理解できていない方々が書いた記事は、サッカーを単なるスポーツとしてしか見ていないものが多く、しかも日本代表や日本サッカーそのもののみの視点で書くものばかり、更に観客からの視点が欠けすぎている点である、という趣旨の事を書いたが、この記者のこの記事もまさにそれと同じで、サッカー先進国なら、少なくとも多くの子どもが通過儀礼のように通り、やがて一国の総理といえど、マイチームの応援に熱を上げると風土を持たない、サッカー後進国出のサッカー理解度ゼロの記者が書いたものと理解した。

たぶんこの記者は、こんな暴風雨の日に、これまで一度も勝ったことのない200キロも離れたアウエイの地に、チームを応援するだけのために馳せ参じ、試合前は屋根のないスタンドを避けて、コンコースのトイレ前の通路などで、立ったまま弁当をかき込むいい年こいたおっさんサポーターの群れなんぞ見ても、その意味と意義を永遠に理解はできないのだろうな、と感じる。

そんな彼にはこのジョゼップ・グラウディオラの言葉を送りたい。

「サッカーは、重要でないものの中で一番重要である」

もしくはレイソルサポーターのこの最高のパクリコピーも送ろう。

「NO REYSOL NO LIFE」

原田亜紀夫記者及び朝日新聞社はこの意味が本当に分かるだろうか。

070714台風の敷島.jpg
NO BELLMARE NO LIFE

投稿者 bellwin : 2007年07月15日 10:02