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2008年12月23日
クラブサッカーを論じて欲しい
クラブワールドカップは誰もが予想した通り、マンチェスターUの優勝で終わった。キトも頑張ってはいたが、何かこう、絶望的なまでの差が見えてしまったせいか、実は不覚にも試合を見ている途中でTVの前で僕は寝てしまった。だからルーニーのゴールは見ていない。しかし、ヨーロッパとその他との地域とのレベル差の乖離、これで良いのだろうか?これでいいのか、バカボンパパ?
さて、その前の準決勝の戦い、ガンバ大阪対マンUの試合について12/22・23号のエルゴラッソに後藤健生氏の文がある。少し長いが引用したい。
G大阪がマンチェスターUに真っ向から勝負を挑んだことで、世界最高峰のメガクラブに対して、Jリーグのサッカーの何が通用し、何が通用しなかったのかを見ることができた。 (中略) G大阪は、序盤と終盤に小気味良い攻撃をしかけて3点を取ったが、立ち上がりマンチェスターUが様子を見ていたのであり、終了間際は相手に疲れが出てスペースができたためだった。20分ごろに、マンチェスターUが守備の組織を作ってしまってからの後半の半ば過ぎまでの時間帯、G大阪は攻め手をほとんど失ってしまっていた。 これは、やはりトップの選手の非力によるもの。中盤を組み立てて、いくらパスを送り込んでも、トップが相手ストッパーとの競り合いを逃れてスペースに逃げ込んでは勝負にならない。逆にマンチェスターUの5得点は、FWの選手の個人としての総合的な強さ(略)で完全に崩して決めたものばかりだった。今さら、あらためて指摘をするまでもないが、攻守ともにゴール前での強さを持った選手を育てないと、中盤でいくら優位に立っても勝負には勝てないということ。長期的な視野に立って、そうした”怖い”FWを育成するしかない。 (中略) 高さにせよ、スピードにせよ、そうした怖さ、特別な武器を持ったFWを育成することは、これからの日本サッカー全体の課題である。
この文、前半の趣旨とガンバとマンUの違いの説明は納得できるものであるが、後段のFWの育成の部分が個人的に引っかかった。
今回の事は代表チームではなく、クラブチームの話である。この場合、要は中盤は負けてないがトップで負けた、という趣旨ををいいたいのだろう。だとしたら何故にFWの育成という話になるのか。クラブの場合はもちろん育成されればベストだが、そうでなければ、弱いところは補強すれば良いのである。そしてその対象が日本人にいなければ輸入すれば良いのである。今回の大阪とマンUの差を論じる中で、もし論点として上げられるのだとしたら、そのような魅力と能力ある選手を海外から呼ぶには我々(Jリーグ)はまだ何が必要なのか、ということであろう。
別に後藤氏に限ったことではないが未だにクラブチームの海外での出来不出来を日本人サッカー(代表)の出来不出来と混同する論調が多い。 クラブチームは一定のルールを守れば国籍的構成は自由である。今のルールでいうなら日本人6人+外国人3人+アジア枠1人+特別枠1人という構成でも良い。これはイコールに日本代表になる資格を持つ"日本人"は半分程度しか出場していない試合もあり得るということである。厳しいリーグを勝ち上がるためにはサポーターは喜んでその構成を受け入れるだろう。その状況を無視、もしくは気にせず、"日本人"にばかり視点を当て、まるで国粋主義者のような論点でしか見られない方が多いのは甚だ悲しい限りである。(いや、むしろ後藤氏はその辺りを分離して考えられる評論家だと思っていた) そこは違うだろ!と声を大にして言いたい。
このマンチェスターU戦で導き出され、我々が考えるべき事は、JリーグのクラブがマンUクラスのクラブと対等に渡り合うためには(=Jリーグにヨーロッパの主要リーグと同等の力をつけさせる)にはあと何が必要なのか?という自問である。実力はもちろんだが、+カネか格か政治力か歴史か、それとも何なのか?このCWCを見て、日本代表強化のためのサッカー論でなく、世界最上級のサッカーをこのJリーグで見るためにはどうしたら良いのか、その事を論じる評論家が一人くらいいて欲しかった。何だか釈然としない同試合への論評ばかりである。

投稿者 bellwin : 2008年12月23日 18:09