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2009年12月09日

湘南この10年と間々記

昇格達成の夢心地から未だ抜け出せない筆者。ついでだから、過去の間々記も読み返してみた。

ベルマーレのことを始めて書いたのは残っている限りでは1998年8月2日。もちろんこの時は筆者はサポーターでも何でもない。

昨日の平塚での試合の観客数、6834人。この数字を聞いて何故か無性に腹が立った。私はミーハーは否定しない。中田という「サッカー選手」でなく「アイドル」を見にスタジアムに来る人がいてもいいとさえ思う。しかしその「アイドル」見たさの客の多さに唖然としたのである。前週の試合は中田が出る可能性があったため15000人近いお客さんが前売りでチケットを買っていた。つまり単純計算でいくと半分以上が”アイドル”の追っかけだった訳である。純粋にサッカー見に来たお客さんのほうが少なかったことになる。 そしてその7000人の”おっかけ”たちは中田と共にJリーグから去った。そう思える観客数だ。 Wカップの盛り上がりはイベント的盛り上がりだとわかってはいたが、それにしても悲しくなった。日本にサッカー文化、いやスポーツ文化は本当に定着するのか。数字は嘘をつかない。

次が1999年3月6日の横浜国際でのマリノス戦。

今回は平塚側の自由席からの観戦としました。試合前にはすでにマリノス側の自由席は2階を含め満員。本来指定の部分も自由席として解放したようです。
ベルマーレサポーターは「戦場に架ける橋」を新サポーターソングとしてました。(Wカップでイングランドサポが唄っていたアレです)数は少ないが声は大きく、マリノスサポの女性中心の声に比べると、野太くていい感じです。
試合は平塚は完全にアウエイの戦い方でカウンターに賭ける戦法。しかしこの戦法がリカルジーニョのドリブル突破のみ(これはこれで凄いのですが)で、後はつながらない。ボール及びペースはマリノスが支配しており、上位を伺うホームチームと下位の2部落ちだけは避けたいアウエイチームとの戦い、という欧州サッカーでよく見る構図となっておりました。

このときもたまたまアウエイ側に座っただけの一サッカーファンだった。

次の書き込みが同じ年の3月28日のホームでの磐田戦。思えばこの試合が運命の出会い。

地元にチームがあるのは本当に羨ましいなぁ、と感じた試合でもありました。それを感じさせたのは平塚サポーターの方々であり、試合前はジュビロサポ席から埋まるという悲しきスタジアムでしたが、試合が始まれば地元のおじさん&おばさんも「熱きサポーター」。私も判官贔屓ですのでベルマーレの方に感情はイっちゃってました。
(中略)
最後の5分は地元サポーターと選手が一緒になって守っていた感じを受けました。スタジアムが一体になっていた雰囲気というのを感じたのは久しぶりです。本当に平塚市民の皆さん、あなた方が羨ましいです。

この試合の後から僕はベルマーレを追いかけるようになるのだが、まだ当サイトでは代表のことや日本サッカー全般のことについて書いてあることが多かった。

そして同じ1999年の8月8日のホームでの名古屋戦観戦記ではついに以下のように宣言している。

そう言えば、ベルマーレのサポーターは「平塚」では無く早くも「湘南」とコールしていたような。ワタシも2ndステージは突如「ベルサポ」となります。だって、あの無茶なメンバー選択から(ベルの若いFW陣は楽しみですが。)後ろを見ない姿勢、そして何より競技場の雰囲気が「何か」を醸し出しているからです。

このあとは徐々に当サイトにもベルマーレのことをアップする日が多くなり、翌年からはアウエイにも参戦するようになり、今に至るのだが、本心をいえば、当時はたぶん湘南は一年ぐらいでJ1に戻るだろうと思っていたのも事実。だからその後の酷さは計算外だった。

2000年から2004年ぐらいまでの書き込みは本当に嘆いているものばかりでたとえば2000年9月のレッズ戦観戦記では

確かスタメンの多くは20代前半だったハズだが、湘南の選手はきっと年齢をごまかしているに違いない。そうでなければあの動きの鈍さ、スタミナのなさは説明できない。”動き直し”や”コンビネーション”などと言う言葉はこのチームには存在しないのだろう、そう僕に思わせるに十分な酷いプレーを沢山見ることが出来、惨めな気持ちになった

2001年11月のホーム最終戦についての書き込みでは京都に目の前で昇格を決められてしまい怒り心頭。

試合後行われた平塚でのホーム最終戦に伴うセレモニーは何ともやりきれないモノだった。選手・会長の挨拶にはどんなに感謝の弁を述べられても、相手に昇格を決められてしまうという最悪の負け試合後では拍手をする気力も起こらず、そして来期の展望を語る会長の言葉に一縷の望みを託したくなる悲痛でもあり、「毎年そういうじゃないか」などと言いたくもなる現状に白けた雰囲気でもあった。僕はホントは怒っていたのだけど、周りの雰囲気に惑わされ、最後は何故か泣きそうな顔でがんばれなどと言ってしまう自分が悲しい。

2002年は5位とというそれまでと比較すれば好成績だったこともあり以下のような前向きな文章もあるが

長かったJ2リーグも最終盤戦。
湘南は日曜に行われたアウエイでの大宮戦に引き分けた事により5位が確定した。2年連続の8位から比べれば順位もさることながら内容でも大きな進歩を遂げたこの一年だった。

翌2003年のホーム最終戦への書き込みはまたもあきらめの境地に戻る。

J2は昨日を以て2003シーズンを終わった。私個人、そして湘南に関係する全ての人々にとってはこれほど辛かったシーズンも無かっただろう。ちょうど一年前の同日記で5位という好成績に浮かれ来年への期待(=昇格)を書いていたのが恥ずかしいぐらいだ。夢は夢見ていた頃が一番楽しいのかも知れないと、この現実とのギャップの中で改めて思った。

2004年のホーム最終戦でも

相変わらずの得点力の無さ、”湘南の甘えん坊”と揶揄される精神力の弱さ、体力の無さ、これらは昨年来から言われ続けて来たものだが今年も全く解消されず、尚かつDFの中心だったチャカは衰えが見え始め、あげくはレンタル移籍、それに代わる支柱にと期待された白井は怪我がちで試合出場も間々ならず、最後は間に合わせのDF陣で試合に臨むという散々な経過で選手層の厚さという意味での上積みは見られず、むしろチーム力としては落ちているのでは、と思わせた一年だった。

と書いている。

そんな暗黒時代の真っ只中、翌2005年の開幕前はこんなちっちゃな夢を書いていたりする。

(前略)最後に湘南だが、昇格してくれなんて言わない。願望としては昇格争いに絡んで欲しいというレベル。というかせめて9月ぐらいまではシーズンを終わらせないで欲しい。加藤望と佐藤祐介の移籍組と高田ヤス・坂本イケメンコンビに期待したい。あきらめず戦う姿勢の見られる試合を数多く見せて欲しい。とにかく応援しがいのある試合を見せて欲しい。だから昇格しろなんて言わないから…。

しかし2006年の最終戦も柏に目の前で昇格を決められ、絶望感にうちのまされる。

(前略)しかも試合後は運営の段取りが悪く、なかなかシーズン終了のセレモニーが始まらない。その間、僕らはじーっと柏の連中が昇格を喜ぶ様を見るしかすることがない。まさに屈辱感は2倍、いや3倍。ホームはジャックされるし、チームは不甲斐なく負けるし、その上昇格の胴上げまで見る羽目になるし、まさに最悪なシーズンを締めくくるにはぴったりの最後のホーム戦だった。もちろん、そんな感じで始まった終了セレモニーも選手入場時からしてブーイングな訳だが。
いつまで、”最悪”ってのは続くんだろう。

ともかく暗黒時代は長かったのだなあ、としみじみ感じる今日この頃で、だからこそ今はまだ昇格の喜びに浸りたい(笑)。

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99年J1にいた頃の平塚競技場。何故、僕は6ゲートなんかで見ているんだ?

投稿者 bellwin : 2009年12月09日 12:32