少し前に「世界は日本サッカーをどう報じたか」(木崎伸也著)を読んだ。興味深い本だが非常に惜しい。そんな内容の新書である。
この本の最初の驚きはサッカー(いやサッカーに限らないか)というものは立場によってその評価は一概であるとはいえないということ。
例えば、日本対カメルーン戦ではドイツ「ARD」TVは日本は守備ばかりしており「最も酷い内容」の試合と酷評しているが、方やスペイン「カナル+」はその守備的な日本を「勝つためのプレイに徹した」と高評価。更にはブラジルでは「戦術が機能して素晴らしい」(グローボTV)と絶賛。それぞれの国情(例えばブラジルはそもそも組織よりも個人技を重んじて何度も失敗している)を踏まえつつもひとつの試合でこれだけ見方が違うというのは驚くほかない。
このような新鮮な驚きを読者に与えつつ、著者は外国から見た日本サッカーの評価を他の試合の実例なども示しながら日本サッカーを評価を書き綴っていくのだが、ここで残念なのは著者はその評価を踏まえつつ「規律はあるがアイデアがなく自己主張の少ない日本」という、ちょっとステレオタイプの日本人論にはまってしまい、更にはそれをどう打破したらよいのかという具体例には、気づいているのに大きく主張していない点である。
僕はこの本の主題は、P167にある「なぜ日本人は、他人の評価ばかりを気にするんだ?もっと自分をみつめ、目の前にある問題と向き合うべきだ」というヒディンクの言葉なのではないだろうかと思う。更には同じ項にあるオランダ人記者の指摘、「日本人はメディアもファンも、世界の評価とか、周りの意見を気にしすぎなんじゃないか?そういう体質そのものが、日本サッカーの発展を阻害している」という言葉を発展させ、この本を構成したほうが良かったのではないだろうかとも思うのである。
他人の評価を気にする、それはつまりは他人依存の自己規定であり、自らのオリジナリティで足を踏み出す事に躊躇する性癖に結びつきやすい。先ほどの対カメルーン戦の評価のようにサッカーとは見る人によっては全く違う出来事が起きたのかと思うばかりの評価があるのが普通であり、それら全ての評価を気にしていたら全くつまらない平凡なプレイばかりになってしまう可能性がある。
だから我々のプレイは「規律はあるがアイデアがなく自己主張の少ない日本」なのであり、そのために最終的な決断が出来ない、つまりはゴールを決められない、試合を支配出来ない、という体質につながっている。
結論としてはこれらを打破するには、我々は他人の目を気にせず良い意味での自分本位的な考え方が最も必要かつ今後は大事であり、それが日本サッカーを強くする重要なキーなのではないだろうか。僕はそう考える。
つまりはこの本は現在の日本人の一番ダメなところを具現化して出版したものであり、それを買って読んでしまう僕も典型的な日本人なのである。著者には最後に「こんな本を読んでいるようでは日本は強くはなりませんよ」と結論付けてもらいたかった。そしたら拍手喝采、この本の出版意義もより高まったとは思うのだが。
(おまけ:逆にいえばこのような本が出版される時点でその道はまだまだ険しいと言わざるを得ないのだが)

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