2001年12月24日
天皇杯である。準々決勝を見に東京スタジアムに行く。
ホントはジュビロが勝ち上がって来る予想でこのスケジュールを楽しみにしていたのだが
(楽しいサッカーを見たいじゃないですか。)、何とヴェルディが勝ってしまい僕のモチベーションも半減。
しかも相手はあろう事か川崎F。今年さんざ見た憎っき相手とは・・・。さすが天皇杯、これが
カップ戦の醍醐味っていう奴なんだろうけど。
観戦位置は”陽が当たる”という、冬場では最も重要な項目によりヴェルディ側ゴール裏に決定する。
無風でもあり、おかげで予想以上に暑く、ついついビールを飲んでしまう。
ヴェルディの応援は相変わらず3つぐらいのグループに分かれており、特に”昔ながらの”
サンバ隊の衰弱は目を覆うばかり。更にヴェルディ側にいてもフロンターレの応援の方が”漢(おとこ)”らしく
感じるのはどういうことだ?
試合はまさに石崎マジックだった。守備に大穴があり僕ら湘南サポまでをも何度も喜ばしてくれた
あの川崎Fが、ああまで堅守からのカウンターで完勝とも言える結果を残すとは・・・。さすが
ノブリン、策士と言われるだけはある。
こんな策にはまってしまうヴェルディも情けない。相変わらず真ん中から細かいパスを通そう
するだけで、そのパスも足下ばかり。通らないと意地にでもなったように輪をかけてセンターでの
ワンツー狙い。あれでは守る方は守りやすい。エジムンドもすっかりヴェルディに染まってしまったのか、
大きな展開は無く、J1チームとしては寂しい試合内容だった。
試合終了後に今季限りでの引退を表明した武田の引退セレモニーがあった。スピーチ前の映像やスピーチ自体は
そこそこ感動したが、サポーターへの挨拶もなんかあっさりしているし(かえってチーム関係者との別れの方が
寂しそうだった)、サポーターはサポーターで、まだ武田が場内を1周しているのにセレモニーとは全く関係の
無い”残留小倉!”コールは無いだろう。
どこまでもちぐはぐなヴェルディの今季最終試合だった。
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2001年12月09日
見ていて感嘆しっぱなしの1戦だった。間違いなく今シーズン見た中でNO.1の試合でもある。サントリーチャンピオンシップ第2戦:鹿島対磐田、カシマサッカースタジアムは両チームがサッカーという芸術を競い合うすばらしい劇場だった。
昨年まで1回も行ったことの無い同スタジアムに今年はこれで4回目となる。そんな訳でスタジアム周りの大混雑を避ける術も少しは覚え、取りあえずスタジアム近くには車を止めず、ビッグゲームでは無料駐車場になる鹿島神宮駅近くの小山の上の公園駐車場からシャトルバスにてスタジアムに向かった。ここなら最悪の場合(試合終了後、スタジアム周囲で車が全く動かず、シャトルバスも意味を為さない場合。)スタジアムから歩ける距離である。幸い今回は早めの行動だったためそうはならなかったが。
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相変わらずの迫力あるマス応援。
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スタジアムに着くとまだ開場前。すぐにビールと串肉を露店にて購入しそそくさと食う。カシマは食い物も豊富で誠にありがたいスタジアム。それから小1時間もすると開門。アウエイ用の入場口のみ異常に厳しい検査。嫌がらせか?と思ったら鹿島サポ側でも同様だったみたいで、いわゆるゴール裏はかなり警戒されていたようだ。他の入場口は警備も緩く、相変わらずの持ち込みしほうだいだった。
僕の座った席はバックスタンドの最上段席。カシマスタジアムは最上段は吹き抜けになっており、海からの風が冷たい。アウエイ側にも関わらず周りは殆どの方が赤い方々。少し居たサックスブルーを見にまとった方にとってはかなり肩身が狭い、というより応援出来ない雰囲気。僕らのように中立な人間でも下手なことは言えない。まさに”カシマ王国”な観客席だった。
それでもゴール裏のジュビロサポーターは健気に試合前から応援を繰り広げようとする。すぐさま他の全ての席からその応援に対して、その数倍の音量でブーイングが飛ぶ。完全に分離され、緩衝地帯を設けられていたのも、絵的には”ジュビロ唯一の砦”みたいで、まさに磐田にとってはアウエイ状態。ただそうなると普段でない声も出るモノで、なかなか磐田サポーターもチーム同様、がんばってはいた。
選手入場時には入口で渡された赤い印刷物(柳沢のコメントサイン入り)を掲げる。来る前は磐田を応援しようかな?などと思っていた僕も、すぐさま迎合し急遽鹿島の応援のフリをする。無論、この赤紙は高々と掲げさせてもらった。テレビ写りはどうだったのだろう?
試合は個人的には西とアウグストの戦いを楽しんだ。(西の来シーズンは楽しみだ。)また藤田(ちょと出来は今一つだったが)・奥(いやあ巧いよ。)・そして中山の3人での攻撃時の動きにはひたすら拍手。そして守備陣のプレスや押し上げの早さにはひたすら感嘆した。個人的にはやはりジュビロのサッカーの方が1枚上だと感じた。
ただ、本山が入ってからの鹿島もこれまた特上。これが来年の形というセレーゾ監督の言う言葉が本当なら次のシーズンのアントラーズは更に手がつけられない気もする。
試合後は少し早めの退場をしたおかげかすんなりシャトルバスに乗れ、渋滞もあまり気になるほどでは無かった。地元客が多かったせいもあるが少なくともコンフェデレーションカップの時のような混乱は無かった。
さて、毎年物議を醸し出す2ステージ制だが、確かに今年のチャンピオンには総勝ち点からもジュビロが相応しい。ただ、同じジュビロは2年前にやはり総勝ち点では下回りながらチャンピオンシップで清水に勝ち、年間王者の称号を手にした。その時はこの制度により歴史に名を刻み、今回は同じ制度により歴史に名を残せなかったということなのだ。
そして僕らがこの試合にこんなにも興奮するのも”チャンピオンシップ”という特別なステージに乗っているから、と言うことも否定できない。もし1シーズン制でこの興奮が味わえるのかということも現在のリーグ状況では疑問符がつく。僕も1シーズンの方がすっきりすると思うが、果たしてそれでリーグは活性化するのだろうか?自問自答が続く。
とにかく両チームには拍手を送りたい。ゆっくり休んでください、とも言いたいところだが天皇杯がこの後すぐある。でもこの後に天皇杯ってそりゃ酷だろう。こちらの日程の方が問題だ。
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2001年12月5日
さてさて、W杯の組み合わせが決まった。これにより何故か俄然世間が注目し始めた気もする。
僕は幸運なことにチケット購入権利が当たり、いくつかの試合を見られることになったようなのだが
(まだチケット現物や権利書もないのであくまで”なったようだ”だが。)、自分にとってはかなり
幸運な組み合わせとなっている。ちゃんと決まったらココで披露したい。
これから宿やら交通手段やらを考えねば行けないのではあるが、4年前に比べればかなり楽。
そういえばこのサイトを始めたのもあの時の手配の苦労があったからこそとも言え、
何だか感慨深いものがある。
そんな中、日本の入ったH組だが、総じて「楽な組み合わせになったと言える。でも気を引き締めなければやられてしまう。」
という”訓辞を垂れる偉い人モード”な意見が大半のように思える。
まあ、実際その通りなのだが、本音は「これは行ける!」と思った方が大半だろう。僕もそうだ。
こんな時こそ楽天的に行くのも良いでは無いか。貰ったよ、グループ1位抜け。
ところで、トルシエ嫌いな方はココでも"トルシエラッキー説"を掲げてしまうのだろうか。
ホント、予選リーグ突破でもしたらこんな意見が続々某方面から出そうだ。
この4年に一回ある世界でももっとも注目されるドローの陰に隠れてしまったJリーグチャンピオンシップだが、
1戦目は内容がすばらしく、もっと注目されても良いほどの試合だった。
少なくともトヨタカップの100倍は面白い。
特に磐田のすばらしさは毎度のコトながら感嘆し、そしてそれを引き分けに持ち込む鹿島の強さにも
改めて脱帽した。2戦目のチケットを持つ身としてはこの今週末が来ることをわくわくしながらまてそうだ。
そして、こんなにスピーディでハイレベルな戦いが日本のリーグで繰り広げられそして見られることに
僕らはもっと誇りと自信を持っていいと思う。
大丈夫、あのようなサッカーを繰り広げられるリーグを持つ国が、W杯とは言えこの程度のグループで負ける訳が無い。
このぐらいの自信が今の日本人には一番必要だ。
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2001年11月27日
あれほど静かな国立競技場も久々だった。聞こえるのはボカとバイエルンそれぞれのサポーターの歌声のみ。後の観客はじっと寒さをこらえ、ここにいることと高かったチケット代を恨むしか無かった。2001年トヨタカップは今シーズンのMyワースト1の凡戦だった。
なんだかんだ言ってチケットをさる方の好意により手に入ったので国立に足を運んだのだが、意外とドイツ人の姿が目立ち、去年のようにボカサポの圧勝状態を予想していた僕には驚きだった。確かに昼間から都内の地下鉄で首にマフラーをしたドイツ人を何組か見かけたのでかなり来日しては来たのだろう。今までの欧州系のサポでは最も多く集まっているように思え、そんな数多くのサポにも囲まれれば疲れていえどもバイエルン、そして気合い入りまくりのボカ、このマッチは好試合が期待できるのでは、と考えていた試合前の僕が悲しい。
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こんな気合いの入ったドイツ人も大勢いましたが・・・。
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試合についてはもう悲惨の一言。チケットを譲って頂いてこんなことを書くのも失礼だとは思うが、全くチケット代に見合っていない。ボカは最初から攻撃は前線の3人任せで2列目以降の飛び出しやボール保持者以外の第3の動き出しはまったく見られず。守備の時もあまりに中盤のチェックがルーズ。端的に言えば攻守とも1対1のみで応対し、まるで20年前のサッカーを見せられているようだった。無論バイエルンもひどい。時差ぼけもあろうが、攻撃に入る際の迫力がまるで無い。 そして両チームとも凡ミスが多すぎた。今時J2でもあんなに凡ミスは積み上げない。
後半途中から急に寒気も加わり試合を見ていても代わり映えはせず辛い観戦だった。僕は珍しく最後まで見ずに帰ってしまった。これが世界のサッカーだというのならJリーグは世界一のリーグであろう。
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壁のようなゴール裏席。
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2001年11月26日
神戸スタジアムへの導線は2通り用意されていた。
一つは新設された地下鉄海岸線を使って御崎公園駅から歩く方法。この方法だとこの駅から10分もかからずにスタジアムにつく。いまひとつはJR兵庫駅(三宮から3駅目)から歩く方法。これだと当駅からスタジアムまで20分は軽く歩く。僕らの席はバックスタンドだったこともあり、ゲーム終了時はこの兵庫駅から帰るよう主催者から指示があったため(事前告知有)、行きもこの方法を採ってスタジアムに向かった。ちなみに終了時の駅までの経路は半強制だと言うことがその帰りに判る。
兵庫駅からは物々しい程の警官と警備員、そして(たぶんW杯時の)ボランティアの人の数が目立つ。道も全てコントロールされ、あれではいくら遠くとも迷うことは無い。(但し普段のJリーグ開催時にはあんなに誘導の警備は出さないだろうから、この駅からだと迷う可能性は高い。)僕はかなり早く(兵庫駅に11時半着)着いたため、まだ人もそれほどでは無かったが、既に雰囲気は臨戦態勢だった。この駅前でパンと飲み物を買う。ちなみにこの駅で買わなくとも道々にコンビニや売店はあるので、食料を必ずここで買わなかればならないということは無い。スタジアム内でも普通の弁当やサンドイッチは豊富に売っていた。(但し売店は臨時っぽいものばかり。)
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何回道を曲がったか判らなくなった頃、スタジアムに突然着く。周りは埋め立て地の中の住宅街(マンションや集合住宅ばかりですが)といった風情で、敷地内はスタジアムという建物以外はまだ未完成のようだ。あたりを向きだしの大地から舞う砂が舞っていた。
スタジアム外観の印象は可もなく不可もないと言う程度。外に張り出すように作られたゴール裏が外から見ても印象的。W杯後、これが取り壊されるとなるとちょっと印象は薄くなるかも知れない。
持ち物チェックとチケットチェックのゲートをくぐってスタジアム内へ。入場はそれぞれの券種ごとに分かれており、スタジアム内でも他エリアには移動は出来なかった。ちなみにチェックは大甘。W杯もこれならいくらでもいろいろなモノを持ち込めそうだ。
中の回廊は1階も2階も広く十分。この回廊を横切り各ゲートよりスタンドへ入る。
スタジアム内の印象は博多の森球技場を大きくした感じで、やはりゴール裏のスタンドが壁のようで印象的だった。来年W杯後にこのエリアを縮小(たぶん前列と中段以降が対象)し、開閉式の屋根を付けるとかなり印象は変わる気がした。今現在はとても開放的で、その雰囲気も捨てがたい。でもやはり日本では屋根無いとつらいよね。
僕の座った位置はバックスタンドの中央・中段。角度は申し分無いほど有り、ピッチはここからだと少し距離はあるが、しかし非常に見やすい。ピッチサイドからスタンドまでが近いので、磐田スタジアムのように前の人の頭で手前サイドのライン際がかぶらないか心配したがそれはまったくの無用であった。手前側も十分に視野を確保できるよう設計されているようだ。また試合前、バックスタンドのあっちこちでピッチを見てみたが、見にくいような場所は一カ所も無かった。前列などはむしろ近すぎて困るほどだ。因みにバックスタンドは全1層の作りなので最上段まで登るにはかなりの体力を必要とする。
屋根も最前列までかかっている。この辺も博多の森を思い浮かべて頂ければ間違いは無い。
トイレは普通。少なくも無く多くも無い。無論、ハーフタイム時には少し待たされる。
スタジアムそのものの印象は埼玉より上、カシマとほぼ同じランキング、豊田スタジアムには及ばずというところか。但し周りのインフラも含めると更に上位に位置して良いスタジアムである。
とにかく三宮から10分程度のところに2つの最寄り駅を持っており、しかも専用となれば総合力は高い。日本屈指の好立地・好パフォーマンススタジアムと言って良いだろう。
尚、帰りはバックスタンドとアウエイゴール裏は兵庫駅、メインスタンドとホームゴール裏は地下鉄、と半強制的に誘導され(スタジアム周辺も行き来出来ないよう封鎖されていた。道路も一般通行は遮断。)、それはそれで帰りの駅でのパニックを防ぐ手だてとしては有効のようだった。試合後兵庫駅に戻った時(僕は延長前半でスタジアムを出た。)、往時には無かった臨時券売所と、入場規制をするための列を作るためのパイロン誘導が引かれており、初めてにしては準備は万端のように思えた。
あ、試合ですか?カズのゴールシーン以外はハズレ試合だった。以上。
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2001年11月18日
見に行った人間が全て「エジムンドすげえよっ!」と口々に言うので、どうしても見たくなり、わざわざカシマスタジアムまで行った。僕にとっては鹿島の優勝は二の次だった。
ところがそこに見たモノはその鹿島にいいように押さえ込まれる野獣だった。おいおいエジムンドよ、秋田やファビアーノに負けるか?何やってんだ?と疑問符はつきまとうが、それもこれもその野獣に前を向かさない鹿島ディフェンスの鉄壁さが勝ったためだろう。僕がエジムンドの凄さを味わえたのは後半のそれもたった1回きりで、またこの1回がこの日のベルディの唯一のチャンスだったのだ。試合内容そして結果も完膚無きまでに相手を叩き潰す鹿島の圧勝という、優勝を飾るにふさわしい内容だった。
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感動の無い優勝だったのも確かだ。
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鹿島スタジアムの良さはその見やすさもあるのだが、雰囲気がまた良い。スタジアムに詰めかけるお客さんは、じいさん・婆さんのカップル!や一家総出の応援などまさにアットホーム。それでいて応援は熱い。スタジアムの規模が大きくなり空席も目立つが、この日でも2万5千人の入り。行けば分かるが、地方小都市とも言えないほどの田舎(失礼)に常にこれだけの人が集まるのは驚きである。ちなみに私の自宅からは車で4時間もかかるため、余り通える距離ではないのだが、その移動の苦痛を超えてでも行きたくなるスタジアムなのである。
この日のゴール裏も圧巻。2つのビッグフラッグと真っ赤に染まった観客席は相手にとっては嫌なものだろう。試合前にバックヤードで例のスネアドラムの練習をしているのは何故か微笑ましい。
試合終了後、選手がそのゴール裏に乗り込んだのは驚いた。もともと決まっていたようでちゃんとスタンドに上がる階段も用意され、またサポの方も中心をきれいに空けて、ビクトリーランを待つという体制だったが、やはりサポと選手の一体感のようなモノは十分感じられた。それにしてもあの最前列で旗を振る上半身裸の若人が真ん中に勢揃いした風景はちょっとアレだったが。
ただ、選手はともかくサポにも喜び爆発!という雰囲気では無かったのも確かだ。これは鹿島が悪いのでは無い。やはり昨年も3冠、それ以前も常勝ともなると見ている方もステージ制覇ぐらいではもう当然の風景なのだろう。スタジアム全体に祈るような雰囲気がない優勝というのも不思議な光景だった。何か既にJリーグ自体に鹿島というクラブ全体(そして地域も)が物足りなく感じている気もする。僕ら傍観者としても毎年ジュビロやアントラーズではいい加減飽きも来る。
翌日、仙台・山形・大分の昇格争いはカシマスタジアムにはなかった”祈り”が、TVから見ても各スタジアムにあったように思える。これらのJ2のサポは確かに祈るような気持ちだったろう。翻って優勝するチームのサポに祈るような切羽つまった状況に追い込めないJ1リーグの各チームがいつまでも今のままでいるようだとリーグそのものの危機である。特に名古屋や清水そして柏という、いわゆる強豪の奮起を望みたい。そうでないと、Jリーグが次のステージに進めない。それは日本サッカーの危機でもある。
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2001年11月11日
降格・昇格の季節である。我が湘南は今年も全く関係の無い位置にいるが、昨年に続いてまたも目の前で昇格を決められるという屈辱を味わった。無論、私も、である。
勝った京都にはおめでとうと言いたいが、悲しいかな、試合前も「今日は決まるんだろうなあ」などとあるまじきことを考えながらスタジアムに向かってしまうほど僕らのチームには勝つ見込みなど立たなかった。雨の中負けるのを予想したくなど無いのだが、結果的には順当な結果だった。サポとしては1点を先制したときはもしかしたら・・・と思ったモノだが、それは最後のロスタイムに見事にうち砕かれ、これはこれで今年の湘南らしいホーム最終戦に思え、逆にここで決めなければ苦しくなるというところできっちり決められる京都はやはり自力がある。年間通してそれを見せつけ、やはり1部にあがるにふさわしいチームだった。
試合後行われた平塚でのホーム最終戦に伴うセレモニーは何ともやりきれないモノだった。選手・会長の挨拶にはどんなに感謝の弁を述べられても、相手に昇格を決められてしまうという最悪の負け試合後では拍手をする気力も起こらず、そして来期の展望を語る会長の言葉に一縷の望みを託したくなる悲痛でもあり、「毎年そういうじゃないか」などと言いたくもなる現状に白けた雰囲気でもあった。僕はホントは怒っていたのだけど、周りの雰囲気に惑わされ、最後は何故か泣きそうな顔でがんばれなどと言ってしまう自分が悲しい。
同じく昇格を争う仙台は、逆に自力の無さがここに来て露わになった。あのスタジアムの雰囲気でVゴールで勝った鳥栖の意地のすばらしさもあっただろうが、2点差をひっくり返されてしまう仙台の落ち着かない雰囲気は危うい。ひょっこり山形が昇格したらスタジアムや戦力補強はどうするんだろうなどといらぬ心配を僕はしてしまう。それほど仙台での最終戦は、ベガルタの来週の結果を余りよい方に考えられない結末だった。
仙台スタジアムで行われたこのホーム最終ゲームの後に行われたセレモニーに立ち会った選手やサポーター達はどんな気分で挨拶を聞いたのだろうか。胸に去来したのは怒りか、悲しみか。Jリーグディビジョン2、残りあと1試合。
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2001年11月07日
走った、走った。試合終了後ホイッスルが鳴ると同時に今度は61000人を超えるサポーターの大競争が始まった。無論ゴールはシャトルバス乗り場か浦和三園駅である。イタリアと引き分けた、という余韻などに浸る間など無い。まったりとした後半のせいでもあるのだが、残り15分くらいからはいつ席を立つかということに気が向き、遠方のサポは試合どころでは無かったのだ。苛烈なる階段駆け下り競争及び200Mダッシュの末、僕は何と予想より1時間も前に家につくことが出来た。
埼玉2002スタジアムは予想以上のトンデモない場所にあった。カシマスタジアムと同等、いやそれ以上の田舎度数の土地にそびえ立っていたのだ。最寄り駅の埼玉三園駅に4時半ぐらいについた時、あまりの良い景色(日本の原風景+夕暮れ)に一瞬何しに来たのか忘れそうになったぐらいだ。ちなみにこの時間で既に駅は混雑していた。
スタジアムは立派である。専用であるから見やすいのも当たり前。でも感動は無かった。もっともいただけないのが、跳ね上げ式の椅子。僕はこの椅子のせいで立ち上がるたびにビデオカメラを地面にたたきつけることを繰り返した。また意外と座席も狭い。座ったのは2階席だったが角度はカシマスタジアムよりちょっと無いくらいか?1階席は噂通りゆるゆるの角度のようだ。回廊や2階席へ上がる階段は素っ気ない作りだった。
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♪なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない。
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試合はさておいて、ゴール裏の応援がバラバラなのが気になる。もはやウルトラスの力も半減か、アウエイもホーム側もいくつものグループが太鼓を持ち込み、おのおの応援を繰り返していた。ただ、それぞれがそれぞれに引きずられ、結果的にはまとまっているような応援風景だったが、4年前のあの光景を覚えている身としては少し寂しい気もした。まあ、親善試合ではあるし、お前やれよ、と言う声も聞こえるのであまり目くじらをたてることでも無いのだが。
イタリア代表は確かにコンデションは悪そうだったが、日本代表もJリーグの連戦続きでか負けず劣らず重そうだった。ピッチはまだ芝が根付いておらずすぐ禿げるといった有様で、あれではタダでさえ重い体、更に足に来るのは理にかなう。試合は重い体を引きずる展開で、最後はいかにも”親善試合”のようだったのは残念だ。
柳沢のゴールが決まった瞬間は我を忘れて喝采を送った。稲本のアーリークロス気味のボールもすばらしかったが、意表をつく非常に難しいやなぎのシュート。アレをアートと呼ばずして他に何を言うのか?あのゴールを見られただけでもこの日スタジアムに来て良かったと感じたのは僕だけではあるまい。 また森島の動きにも感服した。今日もモリシは二人程度出ていたようである。 逆に後半出てきた面々は今一つの感が拭えない。特に中田ヒデの浮いている様が気にかかった。
イタリアはやはり個々では巧いが、コンデション不足やモチベーションの問題などもあり先日のフランスのような恐怖は感じなかった。特に中盤(ボランチあたり)は問題であろう。あそこまで簡単に日本に支配されてしまうとは僕も予想しなかった。
そういえば、試合の始まる前、イタリア代表の面々がピッチに様子見に出てくるとどっとスタンドが沸いた。確かにデル・ピエーロやトッティが目の前にいれば僕でも感激するが、それにしても何かそれ自体が”親善試合”雰囲気であり、トルシエの言うところのW杯モードにはそぐわないのでは無いだろうか?いつの間にか、代表の方が、サポーターの意識より先にいってしまったようだ。
ちなみに違う場所で見ていた友人はこの終了後のダッシュ競争に参加しなかったようで、私が家でこれを書いている時にまだ家にはついていない旨の電話を受けた。ちなみに彼は埼玉県内在住である。(私は遙か遠方の神奈川県在住) やはりこの競技場では終了後のダッシュ競争は早く帰るためには必須であるようだ。何ともせわしないスタジアムである。
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2001年11月03日
いつの間にか11月になった。 昔はこの時期は「何とか歌謡祭」だの「何たら大賞」という音楽関連の賞がやたらあって、それが発表され始めると「ああ年末」という気分になったモノだけど、最近はとんと聞きませんなあ。「FNS歌謡祭」や「日本テレビ音楽祭」そして「歌謡大賞」はどこいってしまったのでしょうか?
スタジアムに降る雨もこの時期は冷たくなって来ている。特に単なる消化試合だとその雨はより冷たく感じる。我が湘南がいかにホームで試合をやろうとも、やはり昇格とも(無論降格とも)全く関係の無い甲府相手では、それを見るサポも目的を失ってしまうのか、観客席もまったりとしてしまう。そんな雰囲気は選手にも伝わるのか、やはり試合もまったりとし、2点取ったら今日はおしまい、みたいな展開に、雨も降りの激しさで答えてくれたのが更にまったり度に拍車をかけた。びしょびしょになるのは構わないけど、自分の気までが抜けてしまうシチュエーションはどうしたものか。これも1年を戦った末の敗者としては、11月という「季節」を知る一つの風物詩なのだろう。勝ったけどこんなにツマラナイ試合を見るのも久々だった。もしかしたら僕らのシーズンは既に終わったのかも知れない。今夜は来年の長居行きの予定でもたてようか。もう鬼も笑わないだろうから。
2001年10月21日
水曜に結構無理してJリーグを国立に見に行く。その前の週、平塚で観戦途中で仕事に呼び戻されたため、フラストレーションがたまり、(自分にとっては)まあ、その代替試合という感じ。サッカーを見ておかないと精神衛生上良くない気分だったのだ。
そんな気分での生ジュビロだったが、全てにおいてスケールが違った。久々にサッカーを見ていて圧倒された。東京サポには悪いが10回やってもあのジュビロには東京は勝てないだろう。雨はそれほど気にならなかったが、ちょっと肌寒い夜だった。帰りがけに携帯にて湘南の勝利を聞く。大宮まで行ければ行きたかった。ちょっと悔やむ。
土曜、妻を久々に平塚に誘い対水戸戦。どちらにも既に昇格の望みも無く、モチベーションの差はそれほど無いため、単純に実力の差が試合に出るだろうと、我がクラブを過大に評価した僕が馬鹿だった。湘南の選手のあまりの動かない姿はモチベーションの低さだけが原因では無いだろう。水戸は今となっては侮れないチームとなった。今シーズン最低の試合にブーイングもする気も起きず。僕は構わないが女房が出した2000円は返して欲しい。試合後、空気の冷たさに残りゲームの少なさを改めて思う。
家に帰り、横浜の馬鹿なセレモニーをニュースで見る。未だ降格の可能性が残るチームが、試合に負けた後に華々しく主力選手の送別セレモニーをやるのが普通なのか?それを認めるサポーターも正直分からない。このチームならエジムンドがカーニバルのため帰っても文句は言わないのだろう。理由が違うって?チームを離れ、最悪の危機の時にいないのは同じだ。何故強かったセレッソが今シーズンずーっとビリで、浦和がセカンドに入り降格争いに加わったのか、そして昨シーズンと一転し見違えるほど強くなった市原のその理由は?誰もが分かっているはずなのに、未だそれが大きな声にならない。「国(代表)栄えて山河(クラブ)荒廃」ではかつての公害問題と同じ。グローバリズムが全てでは無い。もっとサポーターは足下を見よう。
日曜、ケーブルTVで仙台−大宮戦を見る。確かにいつもよりチームも選手もそしてあの仙台サポまでが堅い雰囲気に見えた。結果引き分け。大宮にとっては先週の湘南戦といい、この引き分けといい、この期に及んで昇格にはかなり苦しい状況。僕は三浦監督は結構がんばっていると思うのだけど、サポの間ではそうでもなさそうなので、来年湘南に来ないかな?と夢想する。確かに田中コージ監督も悪くは無いケド。
いつの間にか10月も下旬。そろそろスタジアムでサッカー見るにも寒い季節になって来たけど、皆さんは今シーズンあと何試合見ますか?サッカー場で風邪などひかないようにお体にはご自愛下さい。
2001年10月8日
日記を更新しようと思い前回の日付を見て驚いた。何と仙台に行ったときから更新していない。(あれはもう遠い昔のハナシ・・・)その直後から仕事が猛烈に忙しくなってしまい書けなかったのがホントのところだが、実際この間は29日の東京対浦和しかTVも含め見ていない(多少誇張あり)。こんなバタバタしている僕の生活を横目に(って当たり前か)、いつの間にか代表は欧州で試合を行い(2試合ともまだビデオも見ていない)、PIXYはラストゲームで舞い(行った皆さん、どうでした?)、我が湘南は神奈川ダービーを制していた(ホントは見に行きたかったこの試合)。このようなことは僕にとっては珍しい。日頃サッカージャンキーなどと自負しているが、この歳になるとどうやらたまには仕事ジャンキーにならないと生きていけないらしい。嫌な年齢になったものだ。
年齢と言えば最近はスタジアムで中年から老齢のご夫婦を見かけることが多くなった。特にJ2のチームに関してはこの傾向が顕著だ。また、やはり一人で応援に来ているのであろう疲れたサラリーマン風(土曜なのに仕事帰りかスーツ着用)の方や、ただ祈るように見入るおばさんなどもどこにいっても見られ多士済々。これらの方に共通しているのが、表現方法は違うが、その見方は熱心であり、まさに巡礼者のよう。このことを持って”Jリーグも根付いてきた”とか”今後は明るい”などと言うつもりも毛頭ないが、そこにある”視線の熱さ”は、年齢的にもまさに我が子を見る眼であり、こういうものは今まで他にあっただろうか?と考えてしまった。自分の息子や娘を見る視線と同じモノをクラブに注ぐ彼らこそが、(その財産力も含め)今のクラブを支えているのかもしれない。
もっと若いファンの方も彼らの気持ちやその”思い”をもっと理解し、ただ立って歌えなどと強制したりしないで欲しい。彼らが持つ視線の熱さを持続させるのがクラブを存続させ繁栄させる最短の道なのだから。
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2001年9月24日
仕事などで全国を飛び回っている方はそうだと思うのだが、やはりいろいろな土地に行くにつれ好きな街嫌いな街みたいなものが出来る。これは僕の場合は”住んでみたいな”と思わせるかどうかで決まっていたのだが、仙台と言う都市はその”ここは住んでも良いな都市ランキング”の中でも最上位を争う街だった。その仙台に連休休みを使い湘南を追っかけて行って来た。
その住みたいという理由は十分な都市機能を持ち、しかも海も山も近い。あまり都市好きでは無く、自然の多いところに住みたい、でも不便なところもいやという現代人的わがままな僕の欲望を十分満たしてくれるからである。そんな都市に、これまた僕のニーズに合うようにサッカーチームがあり、しかも専用スタジアムまで持っているというすばらしい環境なのだ。こりゃ僕が100人いたら100人は住みたくなっただろう。(アルワケナイ。)
前日、松島や仙台最大の歓楽街:国分町で十分海の幸やら地酒やらを堪能し、少々二日酔いながら着いた仙台スタジアムは、東京で言えば多摩ニュータウン、大阪で言えば千里ニュータウンの駅前にある、隣がコジマ電気、というなんとも場違いなロケーションにある。良く言えば生活に密着しているのだが、仙台中心部からも地下鉄で15分程と交通の便は極上である。
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バックスタンドに陣取る仙台サポご一行。 迫力ある応援でした。
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そんなニュータウンなところに総屋根作りで2万人収容、しかも球技専用というまさに感涙モノの作りは驚くばかりだが、仙台サポの応援も今やJ2屈指かも知れない程熱い。この日も1万3千人強の入りで、これがJ2?と日頃閑散な平塚競技場に身を置く立場としては黄色に染まったスタンドを見るにつけ悔しさと賞賛が入り交じった複雑な心境だった。
この日の我が湘南サポは総勢100人足らずだったが、まさにアウエイ状態、僕らのゴール裏(しかも一部)以外は全部仙台サポらしく、それは仙台に点が入った時に分かった。裏の通路に何かを買いに行ってもどこもかしかも”かにトップユニ”。そんな中、僕はゴール裏に陣取り、大声を上げ応援を続けた。
試合はご存じの通りロスタイムに決勝点を決められ、我が湘南はジ・エンド。その時のスタジアム内の地鳴りのような声は、普通なら鳥肌ものだが、アウエイで負けた身としてはこれ以上に辛いモノはなく、その地鳴り声とそれに続く歓喜に包まれるほぼ全部のスタンドを見ていたら泣けそうになってしまった。悔しい、心底そう思った。
帰りがけに見知らぬご夫婦に「湘南もがんばって」と握手を求められたのには嬉しかったし、別の若造に揶揄的に「湘南ありがとう」と言われてろくに反論出来ない自分と不甲斐ないチームに腹が立った。大勢詰めかけた仙台を応援する人々によって、僕はアウエイという雰囲気を嫌と言うほど味わい、専用スタジアムのあるクラブの羨ましさもひとしおに感じた遠征だった。いつか湘南も専用スタジアムを持ち大勢のサポーターと共に応援したい。そんな、僕の好きなこの街では普通に行われていることだけど湘南にとっては夢のようなことを切実に感じた。僕のこの夢はいつか実現されるのだろうか?
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2001年9月16日
久々にJ1の試合をスタジアム見た。カシマスタジアムでの鹿島対市原である。
カシマスタジアムを訪れるのはコンフェデ杯以来2回目だが、やはり専用スタジアムということもあり見やすい。2階席からの眺めはまさに”サッカースタジアム”と呼ぶにふさわしい雰囲気。こういうスタジアムが近所にあれば僕ならまず間違いなく年間パスを買うだろう。
この日はなぜかご老人の姿が目立った。無論、鹿マークの入ったレッドなTシャツを身にまとった気合の入った方も多いのだが(それだけでも凄いのだが)、普通のおじいちゃん・おばあちゃんも目立つ。たぶん敬老の日とうことで招待されたか格安のチケットで来られた方々と推測したが、それともいつでもカシマはああいう高年齢層も多く詰めかけるスタジアムなのだろうか?だとしたら素晴らしいことだ。
ちなみに我々はアウエイ側に席を取ったせいもあり、近辺では聞きしに勝る鹿島の”熱さ”はあまり感じなかったが、やはりゴール裏の迫力はホームならではもので、これは一度ご覧アレ。
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スタジアム前に建つ”ジーコ像”。
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試合は鹿島の強さが目立ったものだった。内容的には市原も悪くない。いや、むしろ
やりたいこと・やれていることは鹿島より面白い。ただ、鹿島は”ここぞ”というと
ころで点が取れる。この”ここぞ”というところで点が取れていたのが強い鹿島の特長だったが、このパターンが戻って来たと言うことは、チーム全体が復調しつつあると見て良いだろう。
この日も点を取ったのはセットプレーからのもので、しかもパターン通り秋田やアウグストのヘッドでの得点、名良橋の何気ない動きでのシュート、とそつが無い。そのそつのないところも鹿島らしさで、決してサッカー自体は面白みは無く、また昨年に比べ迫力もまだ無いが、この日は押さえられていたFWを囮にし、DF陣が点を取るという辺りからもそのポテンシャルの状態は、”アントラーズは確実に戻って来ている”と強く感じさせる試合だった。
市原はファーストステージの2位というのがフロックでは無いということは内容からも証明はしていた。「全員が他のプレイヤーを生かす」という、最低限のことではあるがなかなか出来ないことを常に心がけており、例えそれはチェ・ヨンスとて例外では無かった。スペースの作りだし、ジュビロほどでは無いが動き出しのスムーズさなどは見ていてもチームが機能していることが良くわかり、そこに阿部や中西、茶野などの技術のある選手が巧くマッチし、見ていても楽しいサッカーではある。デフェンス陣もこの日はマンマーク気味だったが、これにより鈴木・柳沢のアントラーズツートップの動きを封じ、堅守の印象を持った。
ただ、市原は鹿島DF陣にチェ・ヨンスを完全に封じられた時の次の手がなかなか見つからず、これが良い内容でも勝てなかった原因だったと思うのだが、FWが封じられてもすぐ別の手を打てる(というかモノに出来る)鹿島とは、全てにおいて懐の深さが違った。
愚直なまでにチームの不文律を忠実にこなそうとするあまり試合運びが一本調子になってしまう市原と、うまくいかない場合は次の手を虎視眈々と探し、それをモノにする鹿島との間にあるのは、超えたくとも超えられない”歴史の違い”みたいなモノであり、それがこの日の勝敗を分けたといって良いだろう。
そして市原に無く、鹿島にあるその”歴史”は、市原がこの新たな「次の手」を探し当てた時に手に入れられるのではないか。その探し当てるための前提条件はクリアしつつあるのが今年の”ジェフ市原”である。是非ご覧アレ。
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2001年9月4日
JOMOカップをTVで見た。そういえば、僕は同カップをスタジアムに足を運んで見たことはあったろうか?確か日本代表が出たときぐらいか?
昨日の試合を見ていてはたと思ったのだが、JOMO"カップ"と付くからにはその"カップ"を誰かが保持しなければならない。
いったい歴代のJOMOカップは誰が、いやどこのチームが保持しているのだろう。
その辺からしてもこのカップ戦の怪しさが僕には素敵には思えない。
それはさておいて、報道によると来年は海外クラブ所属の日本人を外国人選抜に
呼ぶという案もあるそうだが、それを聞いて僕は、おいおいちょっと待てよ、それじゃJリーグ
日本人選抜対”その他の方々のチーム”になってしまうじゃないか、とつっこみも入れたくなった。
少なくとも”その他の人々チーム”は”外国人”選抜ではないし、外国選抜と呼ぶにはスケールが小さい。この辺の、何とかこの大会をイベント的に成立させようとする涙ぐましい努力が、逆に更に訳の分からなさに拍車をかけており、まさに負のスパイラル曲線に入ってしまった雰囲気はもはや
滑稽でさえある。どうやっても無理のある”カップ戦”だ。
何度も書くが、野球と違い、”代表”というまさにドリームがあるサッカー界に
於いては、”何とか選抜”とか”オールスター”などは、まるで真作に対する
贋作絵画(しかも安っぽい)のようで、偽物の匂いがし、そこに我々が価
値を見いだすのは難しい。
確かにJリーグ発足当初は見る方も日本のプロ野球的な見方で、このようなイベントを
楽しんだだろうが、野球には無い本物の絵(=代表、及びそれに付随する
本物の試合=Wカップとそれに伴う予選や過程)を見た後に、「似てはいるが異なるもの」に対して対価をを支払うほど僕も懐は楽では無いし、もはやこんな代表”もどき”には、興ざめさえする。
無論、一流の贋作展ならそれはそれで面白いかも知れないが、サッカーの
世界に於いてそれに見合うものとは、俗に言われる”親善試合”ぐらいだろう。
少なくともJOMOカップは違うのだ。今こそ今後の同大会のあり方を再検討すべき時期だと思うのだが。
2001年8月30日
どうもひいきのクラブ(湘南)の負けが続くと日記を書く気になれない。なんか
ひたすら愚痴を書きそうで、(もとより適当な文章だが)結果的に更に投げや
りな内容になり、当人も書いていてもつまらないから、というのが理由。
しかしこれだけ2部暮らし(たぶん来年も)続くと、J1に参加出来ることのすばら
しさを必要以上に分かる。普通の人が欧州チャンピオンズリーグにあこがれを持って
観るのと、意味は違うが、それ以上の憧れを持ってJリーグを観てしまう。「すげえ
やJ1、夢の世界=J1!」と言う感覚。更にワールドカップで日本代表が3戦
3敗だろうが優勝だろうが、そんなことはどうでも良くなって、そんなWカップの
1勝よりJ2リーグでの1勝の方が遙かに尊く感じる僕の感覚は、もはや完全に麻痺
してしまったそれなのか?
だから、代表や海外リーグばかりをメインに取りあげる最近のサッカーマガジンなど
は、ありゃワールドサッカーマガジンだろ、と皮肉どころか、買う気にもなれない。
国内リーグが後回し&モノクロで、海外リーグが巻頭カラーというこの雑誌は、きっ
と国内のサッカーなんてどうでも良くて、それはイコールこの国のサッカーを強くし
たいなどとはみじんも思っていない人々が作っているのじゃないか。自他共に認めるオピニオンリーダーたる雑誌が、「売れるから」などという安易な理由だけで表紙や特集を決めるなら、それではこの国のサッカージャーナリズムって何なんだって思ってしまう。
そんな、自国のリーグ戦をきちんと報道してくれるサッカー雑誌が無い国に、W杯を開く資格なぞあるのだろうか。
まあ、それ以前の問題として、専門誌なら2部の試合の論評も全部きちんと書こうよ。専門誌の名が泣くよ、今の情報量の少なさでは。
2001年8月16日
エコパへの道のりは険しい。その代わり余り得られるモノも無いスタジアムだった。
とにかく1階の出来は何とかして欲しい。角度がなさ過ぎる。横浜国際級のゆるさである。2階はまずまずの角度があり、「2階スタンド」という限定で言えばまずまずの環境だが、今の時代にあのぐらいの作りは当たり前。その2階でさえ豊田スタジアムの足下にも及ばない。
サッカーどころと言われる静岡、その誇りがあのスタジアムにあるとはとても思えない。
帰りの駅の混雑も考え物である。実際最終の新幹線に乗り遅れた人もいたらしい。駅舎は立派だがホームがあの狭さで、しかも電車が臨時が出たとは言え15分に一本では、4万人以上の客を運ぶのには心もとない。意外と大阪方面に向かう列の方が状態はひどかったのだが、皆さん、無事に家に帰り着いたのであろうか。
無論、帰りの新幹線は代表ユニで満載だった。何だかW杯時のフランスTGV車内での風景を思い出した。
ちなみに同スタジアムのレポートは近々スタジアムガイドに掲載予定。こうご期待。
2001年8月14日
ホームページを大きく変えてみた。本当なら一日ぐらいで終わるはずだったのが、お盆休みをまるまる使う羽目になってしまった。 この制作に熱中するあまり、本来あった予定も変更し、また、この期間に湘南も負けを更に2つも重ね、なんだか、エライ損した気分なのである。
今回は新たにスタジアムガイドをメニューに加えた。僕自身が行くときにいつも気になることを中心に、直接会場に行ったモノのみガイドしようと思って作ったのだが、写真を多く使うせいか、プロバイダーのHP使用要領を超えることとなり、
やむを得ず、もとあったいくつかのページを閉鎖しなければならなくなった。また、突貫工事で作ったため、当面ミスもご甘受頂きたい。もし間違った情報や欠けている情報(より便利な情報も)を見つけたら、ご指摘いただけたらうれしいデス。
徐々に直します。

外観。橋の上から撮りました。
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2001年8月05日
僕のくだらない日記より豊田スタジアムの写真の方が多くを語っている。だから今回はで写真日記である。決して手抜きでは無い。
とにかくスタジアム自体は日本最高である。(ちゃちで邪魔な鉄柵を除けば、であるが。)その事を伝えたくて写真日記にした。くどいが決して手抜きでは無い。
ついでにだがオールスターも見た。意外と楽しめた。(でも未だ存在は?ですが。)ただ、完売のハズのチケットなのに観客席が意外にもがらがらなのは一体どうしたことか?(特に自由席) たぶんあったであろう地元へ配ったタダ券と、販売されたチケットの調整が巧くいかなかったのか?どんな理由にせよ混雑を予想して3時間も前にスタジアムにたどり着いていた僕らには、この現象は解せないモノだった。
(注:今回は写真を多く使いましたので重いです。開けない方、ごめんなさい&回線をそろそろ太くしましょう。)
※8/14 追加 以前あったパノラマ写真はスタジアムガイドに移しました。(でかいので。)
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ゴール裏最上段から。吸い込まれそうです。
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メインスタンド。斜度38度はこんな感じデス。
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