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2003年12月20日

スタジアムに入ってそのまず思ったのは、「彼らが努力しがいがあった」と思える 試合をして欲しい、ということだった。 天皇杯4回戦、清水対湘南の試合は前夜から降り続いた雪を、地元の多くの方の除雪 作業によってどうにか行われた。

鳥取行きを決めた際、選択手段としては飛行機か新幹線というのが思い浮かんだが 、金額的な問題から、最も安い品川からの夜行バスにした。平塚からの弾丸ツアーは 地理的問題からあきらめた。 だが、この夜行バスを使ったことが結果的には吉と出る。途中中国自動車道が閉鎖され 山陽道を使った以外は割とスムーズで、予定到着時間より”たった2時間半遅れ”の 9時半に鳥取についた。

ちなみに他のサポーターはそれぞれ大変な目にあったらしく、弾丸ツアーでさえ、本来なら 試合の始まっていた午後1時半着、新幹線組も大幅に遅れほぼ同着、飛行機組は 始発欠航、そして車組の多くは途中の高速 閉鎖により遠征を断念と、行くも地獄、帰るも地獄だったようだ。



午前11時、一瞬の晴れ間のバードスタジアム。
私が鳥取に着いた時には市内は雪は止んでいたが、時折風が強く吹きあられが降っていた。 青空も見えていた。ただこのころころ変わる天気に後で痛い目にあう。

スタジアムには少し早めに10時半頃に到着。駅からはシャトルバスで20分程度で、以前TVで見た通り 周りには田んぼしかない、実にのんびりとした場所にバードスタジアムはあった。

スタジアムに入るとまず目に入ったのがピッチでの雪かき作業。まだ半分も済んでいない。 関係者や地元の高校のサッカー部部らしき人たちが懸命に作業を続けるが、これでは1時には 間に合いそうもない。やがて2時試合開始に変更とのアナウンスがある。

地元のお客さんは結構早い時間から集まって来ていた。中学生や高校生が多い。エスパルスの サポーターも来始め、ダン幕などを張り出す。しかし肝心の湘南側が全く来ない。延期になった 試合開始時間になってもぽちぽちという程度。全くスカスカなのである。

そしてさらに困るのが時より吹く風雪。湘南はアウエイ側だったのだが、風はこちら側に吹き付ける 。あられ混じりなのでその痛いこと。前を見たくとも振り向けないぐらいだ。

やがて遅れていたサポーター達も試合開始直前になり次々と到着。足下の雪を気にしながら ダン幕やら太鼓やらを大急ぎで 準備し、やがて選手入場。このときになり初めてゴール裏はなんとか本来の湘南サポーター席になった。

バードスタジアムはサッカー専用のためゴールがスタンドからとても近い。関東でいうと大宮 スタジアムぐらいである。迫力は満点である。そんな僕らの目の前で望外の先取点が湘南に 入る。坂本のえぐりから柿本のゴールである。これで僕らは寒さも忘れるはずだった。

だが、この日の寒さは私がかつてサッカー観戦をした中でも一二を争うもので、足下に残る雪から 寒さが体中に上り詰め、更に時折吹き付ける風雪は真正面からのものでさらなるダメージを 与える。正直、試合中はどっちが勝ってもいいから延長だけは勘弁してくれ、おもったほどだ。

そんな不埒は私の思いをよそに湘南は3回戦のレッズ戦同様、すばらしいボール回しとスピリットで 代表クラスを多く抱える清水を相手に互角にやり合う。ミスからトゥットにゴールにけり込まれるが 他は「どうしてそういうプレーがリーグ戦で…。」という台詞があちこちから常に出るくらい 良い内容。いつも目にする意味のないバックパスや横パスが無くなり、パス回しはジュビロを 模倣したかのよう(誉めすぎ?)で、サポーター席からも感嘆の声が上がる。

ただ、個々のスキルやチームとしての練度はやはり清水が上。特にアンジョンファンは怖い。 ボールがキープ出来、パスも素晴らしく、シュートに対しても積極的。沢登も同様。アレックスは コーナーキック以外はうーん。(全て湘南比)

試合は結局、終了間際にコーナーキックから盛岡のヘッドで決められそのまま終了するのだが、 勝てたなあ、というのが正直な感想。ただ、やはり湘南が勝つには清水に対し足りないものが まだまだ多いとも感じ、サッカー的にはこれで良かったのかも知れない。 試合としては雪をかいて試合開催に協力してくれた地元高校生にも満足出来た内容では無いだろうか。

試合後、サポーターの呼びかけに呼応して、今年湘南を退団する田辺と、引退する井原が雪の中 挨拶に来てくれた。井原の目は真っ赤だった。 ここから彼らも湘南も来シーズンが始まる

こうして僕らの2003年は波乱の中、雪の山陰で終わったのだった。




2003年12月19日

今年も後残すところ半月あまり。個人的には良い年とは 言えなかったが、湘南に関する人々全てにとってもパッとしない一年だったと思う。 そんな冴えない湘南が何故か毎年天皇杯ではきっちりと実績を残す。 昨年のFC東京に続き今年も敵地で浦和を撃破し、4回戦に駒を進めた。

実は、私は駒場の通称”出島”に赴くのは初めてで、そこで湘南の試合を見られるのを結構楽しみにしていた。 数年前に日本代表の壮行試合が駒場スタジアムであり、それ以来の浦和訪問だったが、 駅前の伊勢丹には相変わらず全選手集合写真の特大パネルがあり、”レッズの街”を感じさせる 風景だ。そこここにレッズのグッズを身につけた人々も見うけられる。 普段はあまり好感を持っていないレッズサポーターだがこういう地場的な風景に見られる その”当たり前さ”にうらやましささえ感じてしまった。




出島から眺める駒場スタジアム。
駒場に行くには駅前からバスに乗る。少し並び、190円払い、20分ほど揺られるとスタジアムに到着。 ちなみにバスの中で湘南サポーターらしき人物は私一人。首に巻かれた緑と青のニットマフラーが ”赤”の中で浮いていた。

バスを降り、目指すは通称「出島」。アウエイサポ専用のスタンドである。その名の通り完全隔離状態で専用入口から 一度入ると売店にも行けず、物理的にも浦和サポと”交流”することもままならない孤立したスタンドである。ここまで極端なのは 他ではカシマスタジアムぐらいか。でもカシマは売店があるだけましだ。。

日本サッカー後援会の会員専用窓口でチケットを引き替え、その専用入口から入場。渡されたチケットには ホーム自由席と書いてあったが、特に何も言われずに出島には入れた。そりゃ首に巻いてるマフラーの色が緑では 当たり前だろうが。

入ってまず感じたのが、狭い!席は既に湘南サポーターでぎっしりで階段等通路も結構埋まっている。300人も 入れば一杯だろうか。まあどうせ座って見るつもりは無かったので最後尾の通路に場所を確保しとりあえずほっと した。

この日の駒場は天気が良く、少し厚着をすればサッカーを見るには最適な日和だった。 陽気に誘われ事前に買っておいたビールや食事を軽く取りながら試合に備える。ここはとても混んでいたが、 他の席はリーグ戦は常に満員と言われる駒場にしてはかなり空いており、バック2階席のアウエイ側は最後までガラガラだった。 そんなところも1部チームの余裕なのだろう。

さて試合開始。浦和の応援は国立などでは何度も見たが駒場では初めて。東と西とで分かれた応援がステレオで 響いて来る。もちろんリーグ戦ではこんなもんでは無いだろうが、それでもたった300人の我々からすれば 驚異であり、その重低音がアウエイ気分にさせられる。

フィールドでも開始直後からペースは完全に浦和。というかハーフコート状態で、レッズのさっさと片を付けようと いう気持ちがありありの攻撃。いつもへたれだと思っていた永井でさえ「こんなにもうまい選手なのか」と初めて関心させられ、 スペースを付く動きやそのスピード、そして技術は、チームとしての意識を含め我が湘南と比べ大きな差を感じさせた。 そんな悲鳴のような展開が30分近く続いた後あっさりと浦和が先制。DF陣が完全に崩された、ここからの虐殺を予感させる 1点だった。

ところが、この1点で安心したのか浦和の攻めの手が緩む。とは言え、湘南も攻められずぐたぐたのままそのまま終了。 ここまでは失点が1でヨカッタと思わせる展開だった。

後半は少しの期待と大きな不安と共に始まる。しかし時間の経過とともにその不安は徐々に小さくなり、 期待がふくらんで行く展開になる。浦和は安心したのか、前半の先制の後、ガツガツ来なくなっており、 それがやがてこのような力の差のある対戦では陥りがちな受け身のサッカーになっていた。。 そして湘南も試合開始直後はそのスピードにとまどっていたが、この時間帯になると徐々に慣れたようで、 この日のために一週間練習したと言うだけあって、運動量は湘南の方が 多くなる。明らかに流れが変わって来た。

こうなると、元来モチベーション的にも苦しい事を想像させる浦和は、いつの間にか足が止まってきつつあり 、時折見せるカウンター以外は怖い相手では無くなった。

やがて必然的に熊林の同点ゴール。無論、出島はぐちゃぐちゃ大喜び。その後も幻のゴールを含め湘南にペースは移された ままで延長へ。その延長も、柿本の「何故、そんなにフリーなんだ?」ってくらいのゴール前のドフリー状態から 2回切り返し(あの瞬間は時間が止まっていた)た上でのVゴールにて決着は着いた。この時僕等は誰彼無く抱きつき 喜び、気づいたら選手がスタンド前に挨拶に来ていた。

この結果、私の鳥取行きも決まる。相手は昨年の雪辱を期せというばかりの組み合わせで清水。 天気予報では雪なのが少し(というかなり)心配なのだが、頑張って行きたいと思う。

それにしてもレッズ、これではエメルソンのチームと言われても仕方ないゾ。 そんなレッズの愚痴を言い合うバス内に満ちあふれたレッズサポーターの会話は私の耳には心地良かったのだが。




2003年12月16日

今年もやります。ベストブック&ワーストブック。

例年以上に出版点数も少なく、内容も乏しかったと思える 2003年ですが、そんな時こそ皆様のご参加を奮って募集致します。

応募締め切りは12月31日、発表は1月上旬を予定しています。 あなたの今年の最高の1冊、最低の1冊を是非推薦して下さい。 もちろんどちらかでもOK。また、何冊でも構いません。出来ればその選出理由を書き添えて頂ければ助かります。

また、このイベント、意外と著者本人や出版関係者も当イベントをチェックしています。(気にしているかは分かりませんが。) 今後、より良い本が出版されやすい環境を作るためにもご協力を!

尚、応募は当サイトのBBSへの直接書き込むか、管理人へのメールでお願いします。 では、是非に皆さんのご参加を待っています。



2003年12月10日

今日のジーコに文句は無い。打つ手も的確だった。彼を選んだこと以外は。
今日の選手達は勇猛果敢だった。まさに代表のプライドを維持した勇者だった。彼以外は。
東アジア選手権、日本対韓国はたった一人の愚か者が全てを台無しにした。

私は大久保には腹がたっている。あれでは代表の名に値しないタダのチンピラだ。 カップを賭けた代表の試合でわずか17分でイエロー2枚もらい 退場とは空いた口もふさがらないが、そのカードをもらった行為にも同情の余地も無い。 もしこれがワールドカップ予選だったらと思うとゾっとする。

もしかしたら優しい方が彼を庇うかも知れないが、これまでのリーグ戦での異常な出場停止数を考えると 全く成長の跡が見られず、「若いから」と養護するのも無理がある。彼には若さだけが理由でない何か 大事なものが欠如しているとしか思えないのだ。そんな選手は果たして我が代表にふさわしいのか。大いに疑問だ。

私は当分彼の代表での姿を見たくない。



2003年12月07日

将来の見えない勝利を一日に2試合も観てしまうとは…。まあ負けるよりはいいか。



2003年12月05日

眠いので簡単に今日の東アジア選手権 日本対中国の感想など…。

この試合の2−0というスコアはチームでの勝利というより両国選手の個人能力の差による 勝利と言える。(久保はやはり凄いネ。)中国代表の監督はこれを「両国のリーグレベルの差」と言ったらしいが、 この日の代表もあまり連動した動きというのは見られず、個々人がバラバラで、 良く言えば(普段の)自分の個性を全面に出し、悪く言えば気まぐれ的に動いているだけの プレーに終始しており、見ていてどうにも歯がゆかった。。 一体、何回、サイドやトップで選手同士のポジショニングが重なったり、 また重なる事によってスペースが無くなったりしてしまったことか。あの2点も決してチームで、 いうより偶然と個人能力が重なった結果だと感じる。

中国が思った以上に弱かったと思えてしまうのは 日本サッカーが全体的にレベルアップしている結果だとすれば喜ばしいが、少なくとも 代表がチームとしてレベルアップしているとはとても思えない。 約一年ぶりに代表を生観戦したのにそこにあったのは何も変わらないチームだったというのは あまりに寂しかった。



2003年11月30日

突然今年のJリーグが終わってしまった。それはまさに突然だった。

ほんの少し前に見た携帯の画面に映し出される途中経過ではたしかに鹿島は勝っていた。 それを確認し、試合終了直後、興奮気味に僕らは観客席であるであろう鹿島対横浜のチャンピオンシップの事を 話し合っていたぐらいだ。

それが突然、横浜国際のモニターに写し出された苦渋に満ちた曽ヶ端の顔を 見ることによって違った展開になったことを知らされる。

そしてそのライブ映像は、2−2というスコアを画面左隅に表示し、 と同時にマリノスゴール裏からは大歓声が聞こえ、やがて タイムアップの笛と共に倒れ込む鹿島の選手を映し出す。 この瞬間、2003年Jリーグは横浜Fマリノスの完全優勝で幕を閉じたのだった。



2003シーズンの優勝はマリノスだった。
今年のマリノスは今まで私がさんざ書いたような「公家の蹴鞠サッカー」から大きく脱却した。 何よりアグッレシブであり、ゴールに貧欲であり、そして面白かった。

昨年までの少しもゴールに向かっていない慢心した無駄なボール回しは影を潜め、 失ったボールを何処までも追い、イーブンのルーズボールは必ず競る気持ちの強い チームへと横浜は変貌した。もともと保有選手のレベルは高かったのに、このチームに一番足りなかった ”気持ち”を植え付けた岡田監督の手腕には心から脱帽する。

また、その岡田氏を迎え、中村俊輔の移籍した穴と足りなかった部分を、広島から多額の移籍金で獲得した久保と、 失敗はしたがカフーをも獲得することによって埋めようと動き、またそれが無理と分かると実績のある韓国代表の柳に よって補ったフロントの、腕力を含めた能力にも敬意を表する。 シーズン当初からの積極的な動きに見えた優勝したいというその行動力と勇気にだ。

逆に今期は、移籍したレギュラーの穴を遺産で食いつないで塞ごうとした鹿島と磐田は 負けて当然と思う。特にジュビロはこの試合を観ても現状に満足しきっている状態が透けて見えた。 だからこの結果も、そのような中で本来あったものに精神的たくましさを身につけもっともな補強をすることに よって足りなかったものを物心共に手に入れた横浜が順当に勝っただけのことであり、 何の上積みもせずに現状に満足し(もしくは過信し)、そのためむしろ戦力ダウンした チャンピオン達が破れただけのことなのでは、と感じてしまう。

金の無いクラブならともかく、チャンピオンやビッククラブを標榜する(もしくは目指す)彼らなら、他のクラブがそれらを 目標にレベルを上げてくるのは当たり前であり、それに対抗するために昨年以上の戦力を保持するのが 必須である。そしてそれがひいてはリーグを活性化させるのだ。ところが鹿島も磐田も現有の駒を生かす事のみを 考え、またその力を過信しすぎたようだ。確かに”歩”は”金”になり得る場合もあるが、その確率は それほど高くは無く、時間もかかる。もしかしたら自チームはその確率を高くする秘訣と時短のノウハウでも 持っていると勘違いしたのでは無いかと思うほどの両チームの陣容はシーズン当初から上積みの無い呑気なものだった。

彼らにはもっと効果的な補強が出来た筈だし、 もしそれが出来ないのなら簡単にレギュラーを海外に移籍させずに少なくとも昨年並みの戦力を計算できるよう 保持すべきだった。 これらを怠るのは自らのクラブやそのサポーターに対する裏切り行為では無いだろうか?そしてその結果が、この リーグ順位に現れているのではないだろうか。

これらを踏まえると、今年のJリーグは内容もレベル的にもどうかと思う1年だった。

比べても仕方のない事だが、今年の横浜が昨年のジュビロや一昨年の鹿島を交えて 戦ったとしても果たしてウイナーになれたかどうかは私は疑う。少なくともレベルの向上は 確認出来ない。

来年度はこの事実により各クラブがより積極的にクラブのレベルを上げることに努力することを期待したい。 そうでないと以前より目の肥えた浮気性な観客はやがて減少するだろう。それを私は一番恐れる。






2003シーズン最後の挨拶。平塚競技場にて

2003年11月24日

J2は昨日を以て2003シーズンを終わった。私個人、そして湘南に関係する全ての人々にとっては これほど辛かったシーズンも無かっただろう。ちょうど一年前の同日記で5位という好成績に浮かれ 来年への期待(=昇格)を書いていたのが恥ずかしいぐらいだ。夢は夢見ていた頃が一番楽しいのかも知れないと、 この現実とのギャップの中で改めて思った。

同じ苦しさでいうとあの降格した5年前のほうが(チーム存続云々は除いて)まだ理解できた。 何せフジタが運営から撤退し資金が底をついたために経験と実力のある選手は皆移籍していき、 残ったのは全く実績の無い若手ばかり。J1で戦えというのが無理な相談だった。

しかし今シーズンは違う。DFの要であるパラシオスの完全移籍、数年前はプレミアで10数ゴールを上げたリカルドの加入、 熊林のレンタル延長、そして"あの"トルシエの弟子とも言えるサミア氏の監督招聘と、夢見る要素は一杯だった。 そして開幕ゲームの山形戦は見事なサッカー(ミニトルシエサッカーともいえた)での完勝と更に大きく期待は膨らんだ。

しかし、我々のシーズンはそこからは苦難の道に陥り、ついには7月の声を聞く前にサミアは解雇され、成績も伸びず 梅雨が明ける頃は今シーズンは終わったも同然になってしまった。ではこの失敗の原因は一体なんだったのだろうか。

それが今年は分かりずらい。サポーターの中には毎年同じ事の繰り返しのようだと評する 声もあるようだが、私は少なくとも今年は今までの失敗を糧にし効果的なチーム作りをしているように思えた。 シーズン当初に於いては、選手は昨年以上に経験を積み熟成されているように見えたし、 フロントは(昨年のウイークポイントを洗い出し)意味のある補強を行ったようにも思えた。

また営業的にも、他のクラブサポがうらやむぐらいの新規のスポンサーを次々と捕まえ、こんな酷い成績にもかかわらず 最終戦だけのスポンサーまで獲得するぐらいまでに強化された。チームから”昇格する”という熱意と努力は伝わって来た。 まさに万全の筈だった。それがこの成績とは…。

確かにサミアのやろうとしたサッカーとJ2の舞台という現実とのギャップやら、パラシオスの長期離脱やら計算外の事も多かった。 高田のスランプも予想外だっただろう。 しかしそのくらいのことは他のどのチームにもあることで湘南だけが特別状態であったわけでは無い。少なくとも 作シーズンを遙かに下回るばかりか過去最低となった成績の要因とは思えない。もしかしたらそれらを乗り越える新しい波の力が湘南には (他のチームに比べ)足りなかったのかも知れない。フロントも、当初予定がうまくいかなかった時の危機管理能力が 不足していたのかも知れない。他にも私等には分からないクラブ内に原因があったのかも知れない。しかし、いずれにしても 非常に原因を究明にするには不可解な低迷であったのは確かであり、それ故僕らは悩み続けた一年だった。

今年のオフほど湘南にとって今後を占うポストシーズンは無い。何せ万難を排したシーズンが失敗に 終わったのだ。行く道も迷うことだろう。昇格のためには新たな方向を探さなくてはいけないのかも知れない。 そして再度失敗すればそれこそクラブとしての存続が危ぶまれる事態に発展しかねない。まさに大きなものを背負った ポストシーズンである。

我がフロントの英知と努力にはいつも敬意を払っているが、ここから3ヶ月は過去無いほど悩みまくってもらいたい。 無論私も一サポーターという立場で出来る事は行う予定だ。湘南にとってもっとも難しく厳しいオフシーズンは既に始まっている。



2003年11月03日

7時起床 今日はナビスコ決勝。先に行っている仲間は9時に列に並ぶということなので少しゆっくり。

9時半 先発隊より連絡があり、千駄ヶ谷門で400番ぐらいとのこと。

10時 新宿駅。総武線のホームには既にレッズサポが大勢見られる。鹿島のユニを来た人もちらほら。

10時20分 国立競技場到着。既に代々木門と青山門は開いている。開門を待つ千駄ヶ谷門も既に相当の列。

10時25分 先発隊と電話連絡を取り、私は別働隊として青山門に並び、とりあえず鹿島側に席を確保することにした。



"PRIDE OF URAWA"
10時40分 列は意外とあっさりと動き、5分後には門内に。私の後ろはそれほど列が続いていないため、 ほぼこの時間で青山門の列は解消したと思われる。しかし代々木門は相変わらずのようで、そのため千駄ヶ谷門も動かない。 現地では開門は少し遅れるとのアナウンスがあったと連絡が入る。ちなみにおまけのナビスコお菓子、今年はオレオとリッツ。

10時50分鹿島ゴール裏最上段に席を確保。さすがに込んでおり、程なくバックスタンド側に席を解放。 浦和側はゴール裏は満席、解放したバックスタンドはまだ余裕。というかなかなか観客が入ってこれない模様。

11時30分 千駄ヶ谷門に並ぶ先発隊から門が解放されたとの連絡。それを聞き中回廊へ。同じように鹿島側からバックスタンド へ行こうとする人で両チームの境界線はあふれている。程なく解放。バックスタンド上段へ向かう階段に向かい一気に人がなだれ込む。

11時40分 バックスタンドアウエイ寄り最上段へ席を確保。やはり今年も鹿島側から入るのが正解だった模様。 まもなく先発隊の人間も合流。この後20分ほどでバックスタンド自由席は埋まる。

12時頃 内田恭子"うっちー"率いるフジテレビチームと浦和の子どもチームとPK合戦。その"うっちー"は浦和ゴール裏から 猛烈なブーイングを浴びる。

13時 アウエイ側寄りのバックスタンドまで浦和側マスゲームのボードが配られる。見ると鹿島のユニを着た人も ちらほらいるが、周りはほとんど浦和サポーター。鹿島の人は肩身狭かったろうな。

13時40分 メンバー発表。意外と鹿島の声が大きくがんばっている。ビッグフラッグの順繰り縦移動の応援には感嘆。 しかしやはり浦和の前ではその声も消えがちだが。

13時55分 選手入場。配られたボードを掲げるときれいな白黒赤の縞模様がスタンドを覆う。 ホームゴール裏を除きなんとメインスタンドまでその模様が覆う。

14時10分 試合開始。5分で鹿島の3バックの破綻が見える。

14時20分 山瀬、今日はきちんと敵ゴールにボールをたたき込む。レッズ先制。大岩はまったく田中について行けず。 他のバックスも浦和FW陣のスピードについて行けない。

14時55分 前半終了。近くのレッズサポが「勝っているよ!」と驚いているのが可笑しかった。ここまで雨が降らないのが 助かる。

15時10分 後半開始。雨が降り始めていた。しかし浦和は止まらない。エメルソンの2点目で鹿島の息の根は止まる。 それにしても鹿島DF陣のスピードへ対応出来ない様は鹿島王国の崩壊を見るようで一つの時代の節目というものを感じる。 鹿島もFWの深井と中島がリベロを一人残す浦和DF陣のライン裏を突き突破を試みるのだが、如何せんボールが収まらずシュートまで いけない。このあたり経験と能力がこの決勝を託すにはあまりに足りなく、この2人にはかわいそうでえあった。

16時00分 試合終了。浦和のスピードあるサッカーは洗練はされていないがある意味ヨーロッパ的とも言える。 鹿島は主力の欠場が敗因かもしれないが、代わりに出てきたこの日のメンバーの迫力の無さは鹿島の育成がうまく いっていないことが言え、また、主力選手の放出しながら見返りの補強をしなかったフロントの責任が重いと思われる。  それは単純に言えば昨年から戦力の上積みを金をかけて行ったチームと、自らの育成に過信になり補強に金をかけない クラブとの違いが出たのかも知れない。今更ながら妙な親心で柳沢を放出した事がチームの今後10年を誤らせなければ 良いのだが。

16時15分 浦和のウイニングラン。ゴール裏まで選手が来るとグラウンドにサポーターが数多くなだれ込む。 バリケードを突破し選手のもとへたどり着く猛者もいる。とはいってもヨーロッパのように選手のユニフォームを剥いだりはせずに 肩を叩いたりして讃えるぐらいなのだが。気持ちは分かるがやっぱやってはだめだろう、あれは。

16時30分 ウイニングランは続くがどちらのサポでも無い私たちはスタンドを去る。スタンドを出ても外苑の杜に「we are reds」 が響いているのが聞こえる。

18時 家に帰りネットでオフト監督辞任を知る。ここまで阪神と似るとは…。とにかくおめでとう浦和レッズ。

追加:これで私のナビスコ騒動は終わるのだがそこで気づいた。このごたごたで東アジア選手権の後援会抽選に応募するのを忘れていたのだ。ああ…。

(全て時間はだいたいです。つっこまないでね。)



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